2015年5月28日

素日記5/26,27

・ええ感じの顔が描けたのにホクロがでか過ぎたので破り、新たに描き直した絵も構図が気に食わなくなりいじってみても打破できず、結局破った。
・男の更年期障害なのか何なのか、原因不明の気怠さ。酒もほとんど飲まず10時頃布団へ。
・夜中1時過ぎ子供が首の周りを掻き毟りながら泣き続ける。なんとか治まって子供眠ったが俺は寝れず3時過ぎまで「私が出会った殺人者たち」読む。
・時々やるハッピーデー(いつもより夕飯を贅沢に、の日)に何食うてよいのか分からなくなってきた。
・「宅間守精神鑑定書」読む。

2015年5月26日

素日記5/25

・10数年携わっておったことを辞めた。もうメンドクサイというのが理由だが、辞めてみるとすっきりしたような寂しいような穴が空いたような埋めたい焦りのようなターゲット絞れるようなどうでもええような、気分。
・食事の時、子供に私の席を譲ることになったので、私は床に皿を置いて食うている。

2015年5月25日

素日記5/24

・本日も朝からnew市場Tのデザイン考えるも駄目だ浮かばん。
・吉田宅でヘドロメルヘン3の編集。今回は通常新作&オーバーダブしたライブ盤の2枚組。通常版は異常に宗教的ドヨヨ~ン感が強く混沌としたブツにしあがったので、わざとスカスカの短い曲を挿入して曲順のバランスを取ったらよか塩梅に。ライブ盤の編集も3分の2は終わったので来月にはリリース出来るだろう。吉田氏PCの前で「今回は、疲れましたね…」ボソッとつぶやいた。
・夜はオックと飲み会。人と人は完全に気持ちの融合が出来ないのでそれが嫌ッ!と10年前から同じ事ばかり言いやがって。
・4時に目が覚めて眠れなくなった。1時間後うつらうつらしてキチガイみたいな夢とともに2時間寝た。

2015年5月24日

素日記5/23

・今年の市場Tのデザインを考えるも、ちっともええのが浮かばない。
・「愛犬家連続殺人」読了。死姦のシーンなどもあったが、全体的に酷い内容なのでなんか普通のことのように感じ。
・メタルギアソリッド3。なんなんだこれ、ストーリー映像の合間に自分で操作はキャラクタ移動するだけ?
・車谷のエッセイ。この人同じこと平気で書くので半分が被ってる。「あッ!」と思うた。
・毎日つけようと思うて素日記てのを初めてみたのだが、こりゃきつい。

2015年5月23日

素日記5/22

・週1ラーメンの日、博多ラーメン&炒飯セット食うも、いつもなら大満足のはずが胃もたれ。もう外食やめて次から西友のちょい旨ラーメンのほうが安上がりでよかかも思うなり。
・時間かけてバランス②の手直ししてやっとUPしたのだが、何故かいつもすぐ嫌になり消したくなる。ブログもそう。脳神経がいかれてきたのか。
・子供が風呂からあがって新しいオムツ穿かせたら3分ぐらいでうんこした。
・小さじの半分の量が俺のイメージでは小さじの量だったので驚愕。それが世間の計りかもしれんが、俺の計りはすぐに変えられない。どうすればええのだ。

2015年5月22日

反芻日記5/21

※遠い思い出がいきなり乱入してくる時空超えの調べ

・公演が終わって「あなたぁ、有名な方なの?」とBBAがいきなり話しかけて来た。そして「一戸建てのいいのがあるわよ~」
・子供が今日も1時間の間に2回うんこした。夕方にもしやがった。
・10年前に公開してたイチババランス②を復活させる。トップページの舞子画像が痛くお気に入り。
・このブログだが、ツイッターで告知すると100人ぐらい見てくれるのに、なんもしないと3人だって。やっぱこういう感じがリアルでええね。
・みんな死ぬしかないんだよ、俺も含めて。
・そういう風にいろいろ分析してもろて嬉しいんだけど、全然違います。何も考えてないです。
・「消された一家」酷過ぎて。
・なんで勝手に歯の治療進めようとするんだ馬鹿、もう行かねえぞ。
・『エスカレータでは乳母車禁止』て書いてあるのを知らんふりして乗るのが苦痛。
・マルセイユから出版されるカラー市場本のタイトルを相手に決めさせたら「暴力美人」だそうです。

2015年5月21日

素日記5/20

・朝っぱらからバイクに乗り図書館へ。車谷長吉「人生の四苦八苦」、末井昭「自殺」、「潜入ルポ やくざの修羅場」
・描きあげた絵に何か足りない思いバックを赤に塗るももひとつ。
・10年ぐらい前に削除したイチババランス②ていうアホHPを復活させようとページいじってたが、こんなの誰が観るんだ?と、ごもっともな世間の意見が俺の脳味噌を通して訴えかけてくるものだから。
・スイちゃんのちょっとブスなところが魅惑的。
・スウェーデンの雑誌から食についての絵の依頼あり、これでどう?と送ったらOKだった。大丈夫なのか?

2015年5月20日

素日記5/19

・乳母車を押して西友へ向かう途中道端でスズメが死んでおった。
・wimaxの電池の減りがイメージより早くて嫌な気分。
・車谷長吉が死んだ、とマルハラのツイートで知る。
・最近の読書「愛犬家連続殺人」「消された一家」「家族喰い」「宅間守精神鑑定書」など犯罪本ばかり。
・子供が1時間ぐらいの間に2回もうんこした。
・ポイントで交換したフライパンが全然届かないので調べると1,2ヵ月かかるとのこと。馬鹿か!思うておったら2週間ぐらいで届いた。どうなっとるんだ?気持ちは2か月後になってたのであまり嬉しくない。
・以前バランス2というHPで集めておったGネーム(まんまの商品名)&くだらねーコンテンツ再開しよかなあと思案。
・最近図書館の受付に若いメガネ女子が入った。メガネにはそれほど興味無い私だが、以前から気になっておる西友のメガネ女子と比べてどっちも甲乙つけがたい、いやあ、まいったなあ、などと1人ニヤニヤしながら乳母車を押す変態中年。
・記憶力低下の訓練と思い、こうして前日の出来事を書いておのだが、ちっとも思い出せぬしアホみたい。

2015年5月11日

「伊豆で死ぬな、富士で死ね」

外付けHDDがいっぱいになってきたのでデータ捨てよう思いチェクしておったら10年ぐらい前の書きかけ私小説のようなブツが出て来た。自殺の名所錦ヶ浦伊豆をぐるっと回って富士の青木ヶ原樹海までのバイク旅の出来事を中心に己の過去を散りばめてゆく、という設定らしいのだが、さすがに途中でやめておる。あと100エピソードぐらいあるんだけどなあ(嘘)。懐かしいのでここに載せておきます。
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「伊豆で死ぬな、富士で死ね」

(一)

 ざっぱん、ざっぱん、荒波が白い飛沫を散らせながら潮風の塊とともにとぐろを巻いておる。丘の上からその風情を眺め入りたくとも、腹が減ってそれどころでない。小さな民宿の“お食事”と染め抜かれたのれんが見えたので、すぐさまめくり上げた。客、誰一人おらぬ。厨房に人影が揺れたので、そちらへ向かい声をかけた。
「食事をお願いしたいのだが」
 奥から六十ほどのババが現れ「できないよ」と言いながら右手でシッシッをした。お食事という看板が出てるではないか、と問い詰めると、泊り客の分しか用意できないという。この村には他に食堂はない。もう一時間も先へ行けば松崎という街があると云つた。一寸も感情の入っておらぬゴメンナサイネエを背中に聞きながら外へ出ると、雲ひとつ無い空が暴力的な原色でもって舌をべろんべろん出していた。

 人はどんな絶景や美に出会おうと、腹減りには敵わない。胃袋を満足させねばフラットでおられないのだ。が、自殺の名所、錦ヶ浦の崖へ到着した私は驚愕した。『家族、子供の事を、もう一度考えてみましょう』といった引き止めの看板がそこここに立ち並び、ヘナヘナの雑草がちぎれちぎれに海風に撫でられながら誘う地獄の飛び込み台へ、といった血生臭い無情の屠殺場を想像しておったが、まったく違った。崖全体にどでかいレンガ模様のバルコニーが建設されており、分厚いガラスで周りが囲まれ、尚且つ上部にはよじ登れないように槍状の装飾が施されておった。白いテーブルと椅子が数セット、休みのようだがタコ焼き小屋もあった。そこからマリリンモンローの歌声が永遠とスピカから流されておった。観光客は誰もおらぬ。自殺の名所であった場所が、自殺の名所であった場所であったのを名所とした場所に変化させられておるという訳か。こんなでは死にようがない。私はカブを停めて、バルコニーに降りてみた。ガラス越しに崖下の海が見て取れた。でっぷりとした緑深い透明な母がゆっくりと乳房を抱えてたっぷんたっぷんと微笑んでいた。最後に選べる人間の故郷をこんな囲いで塞いでしまう国に失望する。本来は運転者の自由であるシートベルトやヘルメットの強制というセンスを平気でまかり通すこの国のやり方は、本来の生を生きることができない足かせ装置以外の何物でもない。命綱が繋がった綱渡りは芸人にも観客にも何の感動も与えないのは誰でも知っておることではないのか。命有っての物種だというが、物種なぞはいやらしい。つまり、私は腹が減っているので、もうそんなややこしい事はどうでもよいのだ。松崎はどこだ、松崎は。

 松崎には以前酒屋であったろうと思われる店舗を無理やりコンビニエンスストア風にした店があった。カブから飛び降りて店内の出来合いコーナーへゆくと、お握りセット、ミニそぼろ弁当しかおいてない。幕の内はないのだろうか、幕の内がよいな。だが、腹減りの限界の底におる私は小走りでもってビールと一緒にお握りセットをレジ台に置いた。
 フナムシが交尾をしておる港の堤防で食事をした。腹減りに勝るソース無し、で久しぶりに“食らう”という行為の幸福が素直に染み込んだ。そしてやっと海の肌、波の音、ゆるやかに頬を触る風、澄んだ空、灯台、釣り人、あらゆる景色が私の脳味噌スクリーンにじっとりと刷り込まれてゆく。家族連れや数人の暇人らが海の遠くを眺めたり、漁の話などをしていた。弁当殻をビニール袋で包み縛って煙草を吸っておったらビュッと吹いた潮風に弁当殻が堤防から落ちた。手の届かないゴミは波任せに、ただ浮いておった。近くにおった数人の女子の一人が携帯電話をいじりながら「ほら、絶対そうだよ」と笑った。何が絶対そうなのかな、とぼんやり思った瞬間、どっぷり日が暮れた。
 松崎から少し走った海岸沿いにベンチひとつだけの広い原っぱがあった。カブを停めてビニールシートを棒に巻き付けて簡易テントを作った。道を挟んで隣りには民宿の駐車場があり、それを照らす電信柱の明かりが妙にオレンジだった。共同便所も駐車場内にあり、野宿者にはうってつけだ。パック入り氷の蓋を取り、百六十八円の焼酎をその中に全部あけたブツを舐めながら真っ暗な浜辺に立った。ザザン、ザザザンと永遠の押し引いての調べ。地球が破滅するか天変地異が起きない限りこのザザザンは続くのだろう。私は知らぬが、私の生まれる以前からこのザザザンは続いておったのか、と思うと私は宇宙の塵でしかない役立たずの自分の性器が愛らしく思った。ボンという音に少し遅れて、遠くの山と山の間に赤や、緑、白といった光がコスモスの花のように小さく開いた。一発数万数十万、へたすれば数百万円が散っているのだな。この波は零円だ。糞、しかし、四十年も馬鹿無駄に過ごしてきた私は何ひとつ生み出しておらぬではないか。女房と二人の子供を残してクモ膜下出血により三十五で逝った親友のSは、今の私に何を云ってくれるだろうか。君も死ねと云うだろうか。首の後ろに、押せばいつでも死ねるスイッチが付いておれば、あの日、あるいはあの日、に押していただろう。が、そんなスイッチは無い。ある人間はこの世の地獄を垣間見、またある人間はこの世に何も見出せなくなり、自害する。私はそういったシルクタッチな感性を持ち合わせてない。つまらん偽者だ。クラゲだ。銭を稼ぎまくって結果的に銭残すという豪傑男性でなく、銭を使わないようにかつかつで暮らし銭微々残すといった小心者のセコいオカマである。ある日、銭に縛られておる自分を発見した私は意識的に銭を使ってみようと、食堂のメニュで一番安い順に見るのをやめて、己は何が食いたいのかという順で注文をしてみたが何も面白いこともなかった。ただ美味いものに相応の値段を支払ったというそれだけの出来事だった。銭を使う喜びも知れず、描き続けて来た絵もさっぱり売れず、六年間同棲しておった女は「あの人が、私の背中をポンって押してくれたの」と言い残し、去って行った。それを聞いた私の脳味噌の中では、どでかい像がゆっくりと横倒しにドッタ~ンと砂煙を上げて死んだ。次の日、バンのハンドルを握ったまま泣きながら仕事をした。もう一度考え直してくれと泣いて頼んだときは「あなたみたいに一度口に出したことを変えたりしないの」と云った。「籍だけでも入れようよ」と恥ずかしそうに呟いたあの頃の彼女は六年の間に真人間になったのであろう。私は幾重の失敗嘘心変わりを鈍感心臓でもって世を泳いで渡って来れた。それは単に馬鹿だからであるが、女が消えて初めて本物の馬鹿なのだと気がつくのであった。すべてが後手なのである。しばらくは泣くのだが、腹が減ると主役は胃に移ってしまい、食い物を探しているうちに探すこと自体に夢中になり、何を探していたのか判らなくなるようなボケ茄子。Sの通夜の席に寿司が出、注がれたビールに手をつけないでいたらSの義理の兄貴が「供養だから、しっかり食べろよ、寿司」と云った。未だかつて経験のない悲哀のどん底におった私は顔をあげ、大量に何種類もの寿司が詰め込まれた皿に手を伸ばしかけたのだが、その時どれを食おうかなと選んでいる私を発見したのであった。私には心というものが無いのであろうか。七歳の頃、母を直腸癌で失った夜もそうであった。二年程、入退院を繰り返しておった母だったが長い入院が増え、ある日突如父に抱きかかえられながら帰って来た。いつも家におらなかった母の存在が私には薄いものになっておった。ある夜、バロムワンという英雄物のテレビ番組を寝転がって観ておったら、父が「首夫、こっち来い」という。バロムワンを観続けたかったのだが仕方なく隣の部屋へゆくと母が泡を噴いていた。医者と看護婦が来ていたのに初めて気づいた。母は私の顔を見ながら名前を呼んだような気がした。しかし逝った瞬間がハサミで切り取ったように記憶から完全に抜け落ちておる。私は野球の外野を守るような膝に手を置いたポーズでそれを眺めていた。完全な傍観者のスタンスであった。医者が時間を告げた。私は父に「もう、よかね」と言い残し、バロムワンを観に居間へ戻った。しばらくすると父がこちらへとぼとぼ歩いて来、誰にともなく「白い布かなんか、なかか」と云った。母とコンパクトが一緒に焼かれ、生まれて初めて骨を拾った。骨が少なかった。親戚の誰かが「人が死なしたらね、一番大切なものば一緒に焼くとよ」と教えてくれた。母はほんとうにコンパクトが一番大切だったのかなあと思った。三日めの夜に母の夢を見た。居間に棺桶が置いてあり、私が開けると母が胸の上で指を組み、パンツ一枚で寝ておった。棺桶の隅には蜘蛛の巣がはっておった。あ、と思ったら母の目が開き、起き上がり棺桶を出、土間に飛び降り無言で駆けて闇の中へ消えてしまった。ついぞ餓鬼は母の死で泣かなかった。私は上京し、ミシン工場で働いていた。どこかで酒を飲んでの帰り、駅近くの自転車が無数に並ぶ細い路地を通った。街灯が暗かった。なぜか母が死んだ日を思い出した。すると突如、慟哭した。自転車が数台倒れた。私はもう二十歳になっておった。遅い、あまりにも遅すぎる。しかもその涙は母に対する純粋な涙ではなく、母の死に泣けなかった自分に対する馬鹿さ加減への涙だったのだ。
(未完)